トルコ

【トルコの世界遺産18】目に焼き付けたい!多彩な名所を一挙紹介

長い歴史が刻まれ続けているトルコの世界文化遺産の数は16つ。複合文化遺産が2つの計18箇所。




目次

トルコの世界文化遺産

イスタンブール歴史地域 – (1985年)

イスタンブールは

  • 遺跡公園地区
  • スレイマニエ・モスクと付属保護地区
  • ゼイレク・モスク(旧パントクラトール教会)と付属保護地区
  • イスタンブル大城壁地区

が文化遺産に認定されています。

ローマ帝国とオスマン帝国時代の文化の移り変わりと融合が顕著に見られる、世界でも有数の場所として知られてます。

過去にキリスト教の教会として活用されていた建物がイスラム教のモスクとして使用された場所も見られます。

特に有名な建物が、東ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂として建設され、オスマン支配化時代からはモスクとして利用されたのちに博物館となったアヤソフィア博物館。

2018年6月イスタンブール旅行のブログ記事はこちら

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ディヴリーイの大モスクと病院 – (1985年)

13世紀ごろアナトリアのトルコ化が進んだ際に建造されたモスク。そのモスク(ウルジャミイ)は病院と一体になっており珍しい構造。

ウルジャミイはこの地域の盟主であったアフメット・シャーによって建造され、病院を併設するといったアイデアは妻の発案。建築方式はアナトリアとイスラムの折衷案のよう。

モスクの各方角にある入り口の装飾がお洒落なのでチェックしておきたい。特に北側の扉がすごい。

モスクのみ建物が文化遺産に指定された非常に珍しいケース。

アクセス方法

スィワスからバスで約2時間半で街に入るには標高2000mの峠を越える必要がある。バス広場オトガルから歩いて25分ほどで到着。

ハットゥシャ – (1986年)

紀元前1800年ごろから数百年栄えたヒッタイト帝国の首都の遺跡が残っている。外周6kmほどあり全て見ていくと歩いて2時間半。

見所は

  • 大神殿
  • 獅子門
  • スフィンクス門
  • 王の門
  • ヒエログリフ
  • 祭祀場
  • 大城塞
    この大城塞の粘土板に書かれたヒッタイト人の文字が解き明かされ、ヒッタイト人文明の内容が明らかになった

加えてヒッタイト人は戦闘能力がめちゃ高かったっていう話。シリアやエジプトにも進行したヒッタイト人ですが、かつてエジプトとの間に不可侵条約を結んでいたそう。その取り決めが世界で初めての不可侵条約となった。

しかしヒッタイト帝国がなぜ・誰によって滅亡させられたか、詳しくはわかっていないらしい。

アクセス方法

遺跡から一番アクセスしやすい近い街はスングルル。アンカラからはバスで3時間程度でアクセスできる。

イスタンブールからもバスが出ていて8ー9時間程度、深夜便も出ているのでバスターミナルで確認しましょう。

ネムルト・ダウ – (1987年)

平均2000mを超える山脈に位置する稜墓。かつてこの地域で繁栄したコンマゲネという国の王様アンティオコス1世のお墓があるとされている場所。

お墓の前には5mから8mの巨大な神像が5体並んでいるが、長年放置されており地震などの影響でどれも首が地面に落ち転がっている。

王のお墓と書かれれているそうだが、実際の王様が眠る場所は特定されていない。発見のきっかけは、19世紀たまたまオスマン軍が通りかかった際に見つけたそう。

日の出ツアーが有名で、夜中の3時に出発しネムルト山頂から日の出を鑑賞。その後いくつかの見どころを回る。

アクセス方法

ネムルト山南西50kmにあるキャフタという街が観光の拠点となる。キャフタから車でおおよそ1時間半。




クサントス・レトーン遺跡 – (1988年)

クサントス

古代リキアのエリアにある地中海で繁栄した都市の遺跡。クサントスはリキア同盟の中でも盟主と言える力を持った街でした。

その一方で、紀元前545年にペルシア軍に包囲された際と紀元前42年にローマ軍の侵略を受けた際のどちらも降伏せずに集団自決したという歴史を持っています。

特に石柱型の独特なデザインのお墓があるのはクサントス。

アクセス方法

観光拠点となる街フェティエから1時間半程度。

レトーン

4kmほど離れたレトーンはレトとアルテミスの女神の神殿跡が人気スポット。遺跡内に3つの神殿の跡がある。

アルテミス神殿跡のモザイク画はチェックすべきポイント。

アクセス方法

観光拠点となる街フェティエから1時間45分程度。

どちらも場所的にアンタルヤ観光のついでに足を延ばすことができる。

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サフランボル市街 – (1994年)

かつてサフランが自生していたのでサフランボルという名前になったそう。

オスマン帝国時代に交易のハブとして繁栄したのがサフランボル。1900年以降に急激に衰退したため、今では昔ながらの伝統的な街並みを見ることができます。

特に家は統一感があり、赤茶色の屋根と真っ白な土壁。山脈の間にある街で家は斜面に並んでいます。

かつては繁栄した街で裕福な商人が多く大きな家が多い。

アクセス方法

世界遺産になった家並みを見るにはチャルシュへはサフランボルのクランキョイで乗合タクシー(ドルムシュ)に乗り換える。5分程度。徒歩なら30分。

イスタンブールから6時間半、アンカラから4時間。

トロイの考古遺跡 – (1998年)

遺跡の入り口にはトロイ戦争の逸話に出てくる木馬が見える。サクッと観光すると1時間程度で見ることができる。

トロイはホメロスの叙事詩『イリアス』にトロイア戦争の舞台として登場する古代都市。

シュリーマンによる発掘が行われるまで、イリアスはギリシャ神話の仮想的な街だと信じられていました。

しかし1873年、シュリーマンたちのグループが発掘しトロイア戦争の舞台は存在したことが判明しました。

アクセス方法

トロイ観光の拠点はチャナッカレ。チャナッカレの港から徒歩15分にあるバス停から30分ほどで遺跡にアクセスできる。




セリミエ・モスクとその社会的複合施設群 – (2011年)

セリミエモスクは正方形のモスクと4つのミナレットから成り立っている。また周りには病院や学校が建てられており、複合型の施設として使用されていました。

16世紀のオスマン帝国で権威のある建築家スィナンによりデザインで自身の最高傑作を自称するほどの建造物。

ミナレットとは?

モスクの横に立っている塔のこと。現在はここから礼拝の音楽が流れたりしている。

このセリミエモスクがあるエディルネという街は、イスタンブールの前にオスマン帝国の首都だった。

アクセス方法

イスタンブールからバスで2ー3時間でアクセスできる。

チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡 – (2012年)

紀元前7400年から紀元前5200年までの南アナトリアの遺跡。歴史はかなり古く、2つの塚に分かれている。

東の塚は紀元前7400年から紀元前6200年までの遺跡で、壁画や彫刻などが発見されています。西側の塚は紀元前6200年から紀元前5200年までの遺跡が確認されています。

日干しのレンガを積み重ねられた集合住宅の遺跡が見つかっており、世界最古の街の一つとされている。

オスマン帝国発祥の地ブルサとジュマルクズク – (2014年)

14世紀、オスマン帝国が初めて首都に設定したブルサとその近くの村ジュマルクズクが世界遺産に認定されました。街の変遷としてはローマ帝国、ビザンツ、オスマンの順に支配されている。

近代的なシステムを持って作られたこの街はのちに、オスマン帝国のまちづくりに模範とされたようです。

ブルサでは温泉の街としても有名。

10kmほど離れたジュマルクズクは今もその面影を残す街並みが保存されています。

アクセス方法

  • イスタンブールから4時間
  • イズニックから25分
  • アンカラから5時間半
  • チャナッカレから5時間半

全てバス

ペルガモンとその重層的な文化的景観 – (2014年)

一番の見どころは丘の上に立つアクロポリス。アスクレピオンと巨大な神殿クズルアウリも必見。

ペルガモンはかつて首都としてギリシャ人たちの手によって紀元前3世紀に作られ、エーゲ海に面してヨーロッパと中東を結ぶ都市として機能していました。

ヨーロッパの文化とオスマンの文化が混ざりあった都市の遺跡を見ることができます。

アクセス方法

  • イスタンブールから8時間
  • イズミルから2時間
  • チャナッカレから4時間半

全てバス

エフェソス – (2015年)

青銅器時代中期にローマ帝国の支配下で力を持っていた都市エフェソス(現セルチュク)の遺跡。

サクッと見ても2時間くらいかかる大規模な遺跡群。

トルコでローマ帝国の雰囲気を十分に味わえる場所。

アクセス方法

  • イスタンブールから12時間
  • イズミルから50分
  • クシャダスから30分

全てバスでセルチュクへ。そこからバスで5分。




ディヤルバクル城塞とヘヴセル庭園の文化的景観 – (2015年)

敵から身を守るために作られた、全長5800m幅5~12mの外壁に囲まれた城塞都市の遺跡。大小72の塔もある。城壁は黒い玄武岩が使用されている。

最初に城壁が建設されたのが297年、その後も外敵との争いに備え増築が繰り返され現在の形となった。

アクセス方法

  • イスタンブールから21時間
  • ワンから8時間

全てバス

アニの考古遺跡 – (2016年)

元々は10ー11世紀にアルメニア人のキリスト教信仰の中心地として栄えた都市アニの遺跡。ざっと2時間くらいの所要時間。

モンゴル人の侵略に屈しアルメニアの手からは離れてしまい、現在はトルコにある。

今では考えもできないが最盛期には10万人以上がアニで生活していた。

アクセス方法

観光拠点カルスまで

  • エルズルムから3時間(バス)
  • イスタンブールから2時間(飛行機)

カルスから東に約50km

アフロディシアス – (2017年)

南西トルコに位置する紀元前3ー4世紀に作られた神殿と街。

大理石の彫刻や生産で栄華を極めた。また、テルマエロマエのような浴場施設が2つあったり、集会場があったりとしっかり都市設計された街。

アクセス方法

少し交通の便が悪いので注意。パムッカレやセルチュクからのバスが利用できる。

ギョベクリ・テペ – (2018年)

南東アナトリア地方の新石器時代の遺跡。

紀元前9600年から8200年の非常に古い遺跡と推測されています。

トルコの世界文化複合遺産

ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群 – (1985年)

ギョレメ国立公園とカッパドキアの景観が世界文化複合遺産に認定されています。

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パムッカレとヒエラポリス-(1988年)

石灰を含む温泉水が作り出した石灰棚と遺跡群が世界文化複合遺産に認定されています。石灰棚は大小含め100以上あり、天候によって輝き方も異なる。